木を見て、実ができたり、葉が落ちたりするのを不思議だな~と思うの、やはり良い。おれは阿呆のくせに、頭でこねくり回すから、駄目だなー。まず迷ったら外に出て、散歩して、木を見よう。写真は散歩のついでに撮るくらいの気持ちで。

写真家の友人に「いったい誰のために撮り、何のためにWebに載せているのか、わからなくなった」と情けないことを言ったら、次のような返事を送ってくれた。(以下引用:許可を頂いている)

最近、土門拳のこんな言葉を知りました。
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写真は秘法によって生み出された虹である 
それは化身のように手でつかむこともできないが 
夢のような美しさがある 
しかも確固とした実在性を持っている 
私はそういう写真を撮りたい 
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よくわかるようなわからないような
実在はしているが実体がなく美しい
生きるためでも死ぬためでもなく、
自分のためでも誰かのためでもなく
それでたぶん良いのだと思います。

おれは迷うとすぐに“誰に”対し、“何のために”やっているのかという風に考えてしまうのだが、写真はそういった意味や理由のような、実際的な事柄から離れているのかも知れず。