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DTM / Photograph

Diary

Jun 18, 2019

J-POPを作るのはクラブミュージックを作る10倍くらいしんどいんですよね。カロリーのいる作業ですね、ポップスを書くということは。やっぱり間口を広げるということは、本当に難しいことで。100人に受けるものを作るのと違う、1000人に受けるものを作る難しさというのは本当にあると思います。

J-POPの曲作りはクラブ・ミュージックの10倍しんどい! ―― tofubeatsさんインタビュー(3)

Apr 16, 2019

Playdeadの『INSIDE』をプレイする。

スクリーンショット 01

スクリーンショット 02

スクリーンショット 03

Jun 5, 2019

Logic Pro Xを使い始める。

Apr 19, 2019

ベトナム口琴(モン族タイプ)を買うなど。

Feb 17, 2019

GarageBandを使い始める。

Apr 13, 2019

個展前は夜中までひとり制作の日々が続く。芸術家の資質のひとつに、ひとりで時間を過ごせるかどうかがある。孤独に耐えるということではない。ひとりで制作しながら、作品と会話したり、かつて遠いどこかで同じくひとり制作に没頭した他の誰かと、想像的に繋がれるかどうかだと思う。

大山エンリコイサム

Apr 12, 2019

KORG microKEY-25

そろそろ何か新しいことを始めたくなり、KORG(コルグ)のMIDIキーボード(25鍵)を買うなど。

Apr 11, 2019

東京都写真美術館へ。志賀理江子さんの「ヒューマン・スプリング」を鑑賞。

Feb 16, 2019

千葉成夫『現代美術逸脱史 1945〜1985』(晶文社、1986年)を読む。

Jan 28, 2019

絵をかくこと、批評すること、筋トレすること、お金を稼ぐこと、お金を使うこと、街を歩くこと、1日の時間をうまく使うこと、人に会うこと、人に会わないこと、これらすべて造形行為だと思っている。

大山エンリコイサム

Jan 24, 2019

オパルカは一九七二年以降、新たなタブローをはじめるたびに下地に一%の白を加えるようになる。下地はそのときからほとんど目では見分けられない程度の速度で、黒からしだいに濃いグレーになり明るいグレーのトーンへと変化してきた。老いの速度に似てその変化は微小でも容赦なく、刻々と確実に進んでゆく。普通人生は、生を授かった瞬間のまばゆい明るさから死の暗い闇へとイメージされるものだが、オパルカの作品の時空間はその反対に、闇から真っ白な光へと進行してゆく。

- 岡部あおみ『アート・シード ポンピドゥ・センター美術映像ネットワーク』(リブロポート、1993年)、「ロマン・オパルカ カウンティング・デス」、151-152頁

Jan 23, 2019

東野芳明『現代美術 ポロック以後──』(美術出版社、1984年)を読む。

Jan 15, 2019

『怪談』には胡弓だけで、数分間ほど一音だけが続く場面があるんです(第1話「黒髪」のラストシーン)。一音しかないのにものすごい強さなんですよね。いまでも自分でなにかを作るときには常にそのことを考えます。

あれは究極だと思うんですよ。回転を落とした琵琶のビィーンっていう音。あれも一音じゃないですか。一発の音だけで映画音楽としてものすごい効果を生み出している。そのように極端に切り詰められたなかで、強い表現力を出すというのは映画の音楽を書くときの課題だといつも思っています。ただ、並の映画であれをやると音楽のほうが強すぎる。ああいう音を入れられるような映画なんてそうざらにあるものじゃないと思います。

坂本龍一、武満徹との50年を振り返る | Mikiki

Jan 5, 2019

藤枝晃雄『絵画論の現在 マネからモンドリアンまで』(スカイドア、1999年)を読む。

Dec 5, 2018

僕にとってデジカメは結果が早すぎる。撮りたいと思った時には、その光景の全てを把握している訳ではないから、撮り損じることも起こります。デジカメの場合、撮った写真をすぐに見れるから、その場で確認して、思った結果でなければ、すぐに撮り直したくなりますよね。でも2度目にシャッターを切る時には、最初の撮りたい衝動は消えていて、感覚的なことよりも図柄が優先されていく。フィルムの場合、すぐには結果が見えないから、いま目のまえにあるものに意識を集中せざるを得ない。今のところ、その撮り方が自分には合っているんです。

それから、フィルムというのは現像とプリントという手順が必要で、ただ撮っただけでは写真にならない。でもデジタル写真は撮ったその場から写真として存在しているし、モニターで見ても、データのまま送っても、プリントアウトしてもいい。フィルムの場合は残り何カット撮影できるかと考えたりするけど、デジカメはそうした物理的制約もない。あとから加工もできるから、撮影の段階ではひとまず撮るという撮り方に誘う。でもそれは撮影時のいろいろな選択を全て保留しているんですよね。ものを作る人というのは、表現手段が何であっても、その都度意思決定をして前に進むところがある。だから、デジカメで何となく撮っておいたものから、いくつかつまみ上げたイメージを並べて、これが私の作品です、と言われると疑問を感じます。

写真家・鈴木理策インタビュー | KABlog | Kansai Art Beat

Nov 30, 2018

この場所に止どまること······。 うろつき回ること······。 みつめ続けること······。 愛すべきは我が身の地獄なのだ。

- 小林のりお『LANDSCAPES』(ARK ONE、1986年)、85頁

Oct 10, 2018

肖像作家の才能とは、同一性(identity)ではなく同等性(sameness)によって写真を撮ることである。同一性(アイデンティティ)の「同じ」が主語に関わる(「私」は「私」であって「あなた」ではない!)とすれば、同等性(セイムネス)の「同じ」は、述語に関わる。裸になれば「同じ」、病気になれば「同じ」、死ぬときには「同じ」、あなたは私と「同じ」だ、と。同一性の写真は、個人のアイデンティティを確定し、尊重する友情とオネスティの写真であり、輪郭=全体像を保全する写真である。同等性の写真は、アイデンティティにお構いなく述語や動詞が「同じ」である事を通じて、相手を自分と「同じ」存在として見つめる。それは正体ではなく、正面に反応する、愛とユーモアの写真である。当然、アイデンティティに囚われた意識にとっては、不快で、タブー侵犯的でもあるが、「肖像」の魅力はそこに由来する。

清水穣 - 54:「沖縄」と「肖像」 — 石川竜一の『Okinawan Portraits 2010-2012』 – ART iT

Oct 7, 2018

私にとってもはや〈イメージ〉は乗り越えられるべき対象である。私から発し、一方的に世界へ到達するものと仮定され、そのことによって世界を歪曲し、世界を私の思い通りに染めあげるこのイメージは、いま、私の中で否定される。

- 中平卓馬『なぜ、植物図鑑か 中平卓馬映像論集』(ちくま学芸文庫、2007年)、18-19頁

Sep 15, 2018

スーザン・ウッドフォード『絵画の見方』(ミュージアム図書、2005年)を読む。

Sep 14, 2018

ピアノが弾けなくなる瞬間も、いつかは迎える。死の過程に恐怖を覚えることはないのだろうか?

「怖い。実際、指は……動かなくなってますよ。ピアノもどんどん下手になってきている」

ゆっくりと考えながら、それでもふわりとした答えを見つける。

「……でも、曲想が変わってきている。指が動かなくても成立する音楽になっているかもしれません。きっと、どんどん音が少なくなって、最後に1音になって消えていく……みたいな」

坂本龍一 死を垣間見てわかったのは、意外なことだった (BuzzFeed Japan)

Sep 13, 2018

R. ピックヴァンス『アルルのファン・ゴッホ』(みすず書房、1986年)を見る。

Sep 10, 2018

針生一郎『わが愛憎の画家たち』(平凡社選書、1983年)を読む。

Sep 7, 2018

陸前高田は、自分の生まれ育った場所だから、こうやって時間をかけているんです。これは個人的な事情に立脚した仕事ですから、もう写真がどうのというよりもっと言葉、歴史的なものなんですよ。震災以降、僕の作風が変わったという人がいるけれど、けっして作風なんかの問題じゃないんです。美術史がどうとかアートがどうとか、そういうお話と少し次元が違う、そこからはみ出してるような出来事なんですよね。撮影者がテーマを探して撮りに行けるようなものではない。世間で信じられているアーティストの首尾一貫性とか、そんなことはまあ、置いといていいんですよ。だって、何の気なしに撮っていた写真が、母の遺影になってしまうことがあるんですよ。それが写真というものの1つの側面なんです。それを「作風」として語ることは無意味でしょう? 写真という場所は、一枚岩じゃありません。

畠山直哉のゆっくり考えるススメ「写真家は過去と付き合う仕事」 - CINRA.NET

Sep 6, 2018

畠山直哉『陸前高田 2011-2014』(河出書房新書、2015年)を見る。

Sep 1, 2018

ビートたけしが、「どうせわれわれは、あと二、三年経ったら、消えるんだ」みたいなことを、現在の彼の活躍ぶりを相対化した上ではっきりと言います。彼はよくわかっているし、彼の言っていることを、言葉通り受けとった上のこととして聞いてほしいのですが、今、そんなことを言っててもしようがないと思う。一つでも二つでも積み重ねていかないとどうしようもない。日本のアート・シーンはどこにも負けない素晴らしさがあって、何かやると、すぐに打てば響く調子で反応が来る。今日、ニューヨークでやったら、明日は、反対に日本からニューヨークに押し出すような、そのぐらいのエネルギーと力をもっている。でもアート・ワールドはどこにもない。

それでも、シーンとして、アメリカやヨーロッパでも通用しているのは、大袈裟に言うなら、ニューヨークやパリやロンドンでも九十九パーセントはアート・シーンの流れだからです。世代を作ってきた、ヒストリーに残っているアーティストの作品は、50年、60年代以降、70年まで見て行くと、少なくともどこの国のインターナショナルな、大きなエキジビジョンにも入る。殆ど全ての国のメインの美術館が買い上げている。なおかつ、十年経っても、その時期の大きな展覧会があれば、必ずその作品を出してくる。ある程度までの位置づけが可能な作家が、アート・ワールドにいる人間だとするなら、それは本当に一握りにすぎません。

- 中村信夫『少年アート ぼくの体当り現代美術』(スケール、1986年)、150-151頁

Aug 22, 2018

映画『Ryuichi Sakamoto: CODA』(スティーヴン・ノムラ・シブル監督)を鑑賞。

Jan 28, 2018

ICC(NTTインターコミュニケーション・センター)へ。「坂本龍一 with 高谷史郎 | 設置音楽2 IS YOUR TIME」を鑑賞。

Aug 28, 2017

私が期待するもの

ある写真作品を他の作品から際立たせているものは何なのでしょうか? 私自身も写真家ですが、数千枚もの写真の中から私の選んだ1枚が他のものと異なっていると思うのはなぜなのか、その理由はいまだに全く謎のままです。ですから審査員として私が求めるものを定量化して説明しようとするのは、誠実とは言えないでしょう。それでは私ができる最善のことはというと、それは私が求めていないことを明確にお伝えすることです。私が求めていない人とは、強い印象を与えようとして、むきになりすぎている人。さらに私が求めていない人とは、自分のテクニックや知性を見せびらかす人です。私が求めていない作品とは、何らかの型にはまっていたりムーブメントにのっていたりする作品です。また、自分自身のスタイルを必死に創り出そうとしている作品も、私が求めるものではありません。

求めていないことをこのように強調すると、ネガティブに見えることでしょう。ですが私の気持ちはまるで反対です。私は写真を愛していますし、写真という媒体が持っている魔法のような性質を守りたいのです。蔭でどんなに努力を重ねようとも、最高の作品とは、ほとんど根拠もなしに現れるものです。私が求めているのは、トリックを仕掛けるのにどれほど時間をかけたかをひけらかすマジシャンではありません。端的に言えば、私が見たいのは魔法そのものなのです。

アレック・ソス | キヤノン 写真新世紀 2017年度 [第40回公募] 応募案内

Jan 7, 2017

急きょ仙台へ。せんだいメディアテークにて畠山直哉さんの「まっぷたつの風景」を見る。

Oct 9, 2016

「自分は写真家だ」「自分はこういう作品を作る」と、あらかじめ規定してしまうことで自由が狭まる、というような話を友人とする。展示やトークも単なる作家の活動やコンセプトの補強でしかなくなる。もったいないよね、と友人が言う。

Aug 20, 2016

VIVO、コンポラ、ミニマル、コンセプチュアルフォト、ニューカラー、ニュートポグラフィック、ニュードキュメンツ。

わたしは何一つ知らない。

Apr 13, 2016

べつに石を叩いたり木を削ったり絵の具を乗せたりしない写真家は、他のジャンルと違って素材の抵抗に遭ったりそれと格闘して挫折したりすることが少ないので、自意識ばかりが暴走しやすいというのが持論。

Feb 24, 2016

坂本龍一、アルヴァ・ノト、ブライス・デスナーによるオリジナル・サウンドトラック盤「The Revenant(蘇えりし者)」を聴く。

Nov 9, 2015

自分で思うより物事は不確かで、向かうべき点も、実は無数にあるかも知れないということ。

Jan 16, 2014

武満徹さんの「A Way a Lone II」を聴きながらぼんやりしている。

Aug 27, 2013

最近あまりないけど、しとしと降る雨は上品でいいな。部屋から静かに眺めていたい。

Mar 30, 2012

アートの機能って「人間も捨てたもんじゃない」で十分だと思うんだ。